カナダから見た震災

ご無沙汰しております。
最近このblogの締め時を考えていますが、もう2つほど書きたいことが残っているので悪あがき(笑)


今日はその1。
三年前は日本にいなかったogojone。
当時は書くことのできなかった震災当時の思いを綴ってみようと思います。



カナダ時間の2011年3月11日朝(日本時間11日深夜)、普段通り目覚めたogojoneにhubbyは「日本は大変なことになっているよ」と教えてくれました。(会話を交わした記憶がないので、メールだけだったかもしれません)
テレビのニュースで地震の発生を知りました。
この時、"地震に続いて津波が発生し、海岸で数千体のご遺体が見つかっている"という報道がありましたが、「地震が多く備えも充分な日本で、そんなに死者が出るはずがない」と、これは誤報だと思っていました。
出勤してbossと話したのは3月末に仙台で開催予定だった学会のこと。この時もogojoneは「日本人は地震に慣れている。学会は問題なく開催される。」と力説していました。


正しい状況が把握できるようになったのはこの日の帰宅後(日本時間12日朝)。
数日間、誰もが忘れられなくなったであろう津波の映像がテレビでもネットでも繰り返されていました。日本沈没、日本は終わった、この世の果て。言葉は選ばれていましたが、ニュースはそんな論調だったと思います。
当時blogに書いた通り、日本国内から「東北」を捉えるのと海外から「日本」を捉えるのとのとでは全く違いました。ogojoneにとっての「日本」=「被災地」でしかなく、ogojoneは「日本」が傷つき苦しんでいることに、非常に心を痛めました。


そして、日本のニュースを見聞きするたびに、ネットで「がんばろう日本」のバナーを見るたびに、ogojoneは追い詰められて行きました。
私には何もできない。
募金をしても相場は超円高で額はたかが知れている。ボランティアにも行けない。物資を送ることもできない。
日本人がみんな苦労して我慢して、支え合って助け合っているのに、私はのうのうと海外で何不自由なく暮らしている。
私は「非国民」だ。
いつしかそんな考えに取りつかれ、ogojoneの無力感は強烈な自責の念に変わっていきました。訳もわからずただただ申し訳なく、日本に帰りたい気持ちで一杯でした。


今思えば、震災によるストレス障害だったのでしょう。
ラボメイトは心配して心寄せてくれるけど共感はしてくれない、日本の友人知人の心配事は生活に直結する水と電力、次の地震のこと。身近に、ogojoneの無力感と罪悪感を理解して解きほぐしてくれる人はいませんでした。
自分でも精神的に不安定なことはわかっていて、カウンセリングも検討しました。でも、英語で自分の心情を説明する自信がなかったのと、上手く説明できたとしても「他人と同じように苦しんでいない自分が許せない」という日本人ならでは(?)の考え方をカナダのカウンセラーさんに理解してもらえるとも思えず、一人思い悩む日々を過ごしました。
そして、報道が少なくなって気持ちが落ち着くと、ogojoneは日本の恩師に頼み込んで就職活動を開始。2012年4月の帰国を実現させました。



私は今、日本の政府機関で働いています。
研究の最前線からは少し距離がありますが、「国民の役に立つ」と思える仕事に携わることのできる現状は、今の私にとって大きな喜びです。
三年間の経験がなければ全く別の道を歩いていたかもしれません。もしかしたらまだ、私の中の罪悪感は消えていないのかもしれません。それでも今は、留学中を含めこれまでに培ったことを精一杯活用していきたいと考えています。